必修科目未履修問題

とは少ししか関係ない話です。


必修科目未履修な高校の校長の相次ぐ自殺が話題になってます。
○○高校は何をやっているんだ、とか責任取れとか色々言われますね。


似たような話でいじめ問題。
いじめを苦に自殺した生徒が出るとその学校の校長が頭を下げる。
大見得切って「いじめはありませんでした」などと言うのは論外ですが
いじめの原因は学校だ先生だ校長が悪い責任取れという世論とそれを煽るマスコミには
ほとほと呆れるばかりです。


何でもかんでも「誰が悪い」とか「誰の責任だ」といえば済む問題ではないと私は思います。
「いじめを苦に自殺」とすればいじめる人間は悪いけど自殺した原因の全てが
その子達にあったとはいえないはず。
いじめた人間がいてそれを防ぎきれなかった先生がいて。
いじめられる側に何かしらの原因がある場合にそれを少しでも減らせなかった被害者がいて。
いじめや自殺を止められなかった親や地域住民がいて。
そうして積もり積もった結果「いじめを苦に自殺」というニュースとなって
お茶の間に届くわけです。
何かに責任を押し付けておけば安心するのでしょうが短絡的になるもの良くないかと思います。
他人事だと思わずに自分たちにもできることは何か考えてみるのも一手だと私は思います。


で、ここからが「個人的な意見」。
そもそもいじめを無くそう、なんてもの自体がおかしいと思います。
いじめがあったら駄目な学校・駄目な先生・駄目なクラス、なんて発想もおかしいですよ。
「いじめはあるがいじめを減らす取り組みをしている」
なんて言ってもお上に怒られるんでしょうね。
今の時代何でもかんでも数値目標ですから。
でも教育まで数値目標どうのこうのっておかしいと思うんですがどうでしょう。
結果として数値が出たほうが成果がわかりやすいんでしょうけど
教育というものの範疇に数値で測れるものがいったいどの程度存在するのかと。
中から外から数値目標だの成果の評価だのといわれて教育の現場の疲弊はますます進むのみです。
こういう世の中ではその先に見える教育の未来は暗いかもしれません。