批判するということについてよく考えてみよう

dkさんの「その素晴らしい批評ってやつを知らないのだ」というエントリ。
上記エントリで仰っているように「批判をしたから成長した」という例を示すことは実質的に不可能だと思います。ですが裏を返して「批判をしなかったから(潰れずに)成長した」という例を示すこともまた不可能に感じます。考えれば考えるほどこの辺は精神論になっていくので申し訳ないですが割愛させていただいて。
勿論dkさんが仰っていることも良くわかるし心無い批判で潰れていったクリエイターの方の姿をさんざ見てきたのでその気持ちもわかるのですが、いかんせんインターネットっていうのはあまりにも発言が自由すぎてしまうのです。そもそもうちらのような一ユーザが大声に「批判なんて毒にしかならんからやめようぜー」と叫んだところで批判する人はする、しない人はそんなこといわれなくても重々承知だと思うのです。そしてその溝はどうやっても埋まらないものだとも思います。おそらくその相手を潰すためだけに批判をしている(目的が相手を潰すことにある批判をしている)方も多々いらっしゃると思いますし。
だからこそ前の私の発言において「結論なんか出なくてもいい。じっくり腰を据えて考えるという行為が大切」とだけ書いておいたのですが果たして読み手に意図が伝わったかどうか微妙なところではありますが。「批判が誰かの役に立つ」ということをさも当然と考えていた人が多少なりとも考える機会となったとしたら、上記エントリはこの「自由」なインターネット上でこれ以上ない効果を得たといえるんじゃないかなと私は思うのです。

しかして「批判や酷評をすることによってその作り手側が確実な益が得られるか」と聞かれれば答えは間違いなくノーだと思います。逆の「批判や酷評をされなかったからその作り手が損をした」と結果的に言い切ることは不可能でしょう。批判をされなくとも悪い点に本人が気づく可能性はあります。確かに批判によってその悪い点に気づく可能性が多少は高まるかもしれませんが、本人が潰れてしまう危険性と天秤にかけたときにその効果が果たしてそれに見合うものかというといささか疑問なのです。

批判自体はすべきこと、という私のスタンスにしても悪いところに全く目を瞑って盲信してしまうことの危険性を考えた上でのことであって、良い箇所があるにも関わらずただただ粗探し的に批判をする行為は良くないと考えていますがよくよく考えたらこれはまた別のお話のような気がしますね。

あーあと一つ。「良くなかった作品は評価は、話題にしないこと」ということ自体が今の社会構造からして不可能である、ということも。良くなくても、例えばあれほどパクリだパクリだと言われていても売れるCDだってマスコミは取り上げている現状。こればかりはどうしようも。