まほらばにおける各方面からの考察 その2

さて原作を考えずにアニメアニメした立場から見た『まほらば』はどうか。アニメといえばまっさきに作画が話題にのぼるようになったのはやはり伝説のヤシガニからかと思うのですが実際はそれ以前のアニメでも話数によって作画の揺れが多少なりとも存在するのは当然といえます。それこそ単一作画でも無い限り各原画マンさんの癖やら何やらで違いが出てきて結果「このカットだけ顔違う」という状況が生まれてくるのですがそういうものを完全に無くすことはそれこそ3Dでモデリングして云々でもしない限りは不可能でしょうしそれをアニメに求めるのは問題であると考えられます。その観点からいえば『まほらば』については作画は「全く崩れていない」という結論に達します。そういう観点で見ずとも昨今のアニメの中では比較的安定した作画レベルを保っているのではないでしょうか。あと手の抜きどころをわかっているというかなんというか。何かと要領よく作られてると思います。
ついで声優について。これについても原作を一切排除してとらえればさほど違和感無く。浅野真澄さんがこんなキャラ持ってた、というのが驚きです。初発にあった大家さんの声の違和感も堀江声と比べればなんのその。堀江由衣さんは歌唱力はあるのですが多用なキャラがこなせるかというとやや疑問なのですよ。本人の演技力云々について言及するつもりはありません(私はさほどあるほうだとは思っていませんが)。適切なのはいつぞやに誰かが主役級しかはれない的なことを言ってたような気がしますがまさにそれ。如何せん声に特徴がありすぎるため出てくるとそれだけで主役を食ってしまう状況になりかねない圧倒的な存在感がある声とでもいいましょうか。とてもこの役柄に合っている配役とは思えません。
このアニメでは随所に絵本調、漫画調の演出が見受けられます。そもそも主人公の白鳥が絵本作家を目指す若者であることからの演出かと思うのですがこれがなかなかどうして元々の作風にもマッチしていい具合に仕上がってます。こうなれば無駄に展開に拘らず最後までほのぼの日常モノ、というスタンスで突き進んでもらいたいものです。明確なストーリーを持たせず各話数ごとにその日常性を楽しませる、というのは古典的手法ですがやはりアニメにはこういったタイプの話がピッタリマッチするのではないでしょうか。単純に私が最近のストーリー重視な流れについていけていないだけかもしれませんが、アニメに関しては毎回見ていないと話についていけない、とかそういうキッチリとしたものではなくもっと肩の力を抜いて気楽に視聴できるエンターテイメントであってほしいと思う今日この頃。